ゴールドラッシュから学ぶ4つの投資の教訓
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- 2024年1月17日
- トピックス
私は、貴金属や鉱山にとって2024年は素晴らしい年になると確信している!
私がなぜ貴金属に強気なのか?その理由は数え切れないほどあり、どれも確信を持っているが、その全てを今回お伝えすることができない。今年は私から貴金属関連のメルマガが多く届くかもしれないが、どれも楽しみにしておいてほしい。
とりあえず今回は、過去のゴールドラッシュのお気に入りの話を1つ紹介するしよう。
カナダで起きたカリブー・ゴールドラッシュ
あなたはゴールドラッシュと言われて、何を思い浮かべるだろうか?
最も有名なゴールドラッシュは、1849年のカリフォルニア・ゴールドラッシュだろう。しかし、ゴールドラッシュは世界の各地で繰り返し起こっていた。
そのどれもが今の教訓となっているが、今回はカナダで起きたカリブー・ゴールドラッシュを取り上げて、そこから今の投資に活かせる教訓を紹介しよう。
カリブー・ゴールドラッシュは、冒険小説のようなエキサイティングな要素がたくさんある。そこには、人間の欲望、流血シーン、ネイティブ・アメリカン、中国人などが出てくる!
ただ、「カリブー・ゴールドラッシュ」そう聞いて何のことかと思う人も多いだろう。しかし、これは当時、人間の欲望にまみれた最もエキサイティングな出来事だった。
カリブー・ゴールドラッシュは、1849年のカリフォルニア・ゴールドラッシュと1889年のクロンダイク・ゴールドラッシュの間に起こったものだ。
アメリカ大陸には元々、先住民であるネイティブ・アメリカンが暮らしていた。彼らは、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を見つけてからやってきたヨーロッパ系の白人よりも、ずっと前から金の存在を知っていた。金はそこらじゅうに散らばっていたし、埋まっていてもスコップで簡単に掘り出すことができた。
ただ、ネイティブ・アメリカンたちは、まだ金の価値を知らなかった。しかし、1850年代に金の価値を知る白人が、カナダのブリティッシュ・コロンビア州に流れるフレーザー川の砂州で金を発見した。
これがカリブー・ゴールドラッシュのきっかけとなった!
そして、その地域で最初に金鉱を発見したのが、ハドソン湾会社だった。ハドソン湾会社はしばらくの間、金鉱を発見したことを隠し、分析するために金800オンス(=約23kg)をサンフランシスコへと送ったのだった。
しかし、これが失敗だった!
当時のサンフランシスコは極悪人、酔っ払い、ならず者の巣窟だった。それだけじゃなく、1849年のカリフォルニア・ゴールドラッシュで稼いだ財産を使い果たした鉱山労働者もいれば、一度もゴールドラッシュに乗ることができなった仕事のない男たちで埋め尽くされていた。
そんな彼らはブリティッシュ・コロンビア州で金が発見されたという噂を聞きつけた。そして、2万5000人もの男たちがサンフランシスコからブリティッシュ・コロンビア州を目指して旅立ったのだった。
だが、彼らがそこに到着する前からトラブルは起きていた。それは、その地域に住むネイティブ・アメリカンたちが、一足早く近郊を探していた鉱山労働者を虐殺したという話だった。
学者たちは、この出来事がそんなに単純な話だったとは考えていない。しかし、事実であろうとなかろうと、この話は鉱山労働者たちにとって、金鉱がある土地に住む原住民を殺す口実となった。
金は人間の欲望を生み、人間の欲望は流血へとつながることは今までの歴史が示している。それはブリティッシュ・コロンビア州でも同じだった。
大勝者と大敗者
ついに2万5000人もの男たちが一斉に到着した。カリブーと呼ばれる場所では、フレーザー川で最初に発見された金鉱よりもさらに多くの金が発見された。
この地域で起こったゴールドラッシュは1861年の夏から大きな成果を上げ始めた。ある会社は、8月初旬までに8万ドルの利益を上げたとされている。この時の金の価格は1オンスあたり18.93ドルだった。(今現在では、1オンスあたり2000ドルを超えている)
当時、1日の労働の価値は採掘した金の重さ(ポンド)で測られた。
1日に30ポンド(=4800オンス)の金を産出する探鉱チームもあった。(現在価値に換算したら960万ドルだ!)1861年の採掘シーズンが終わるまでに、260万ドル相当の金が産出されたが、そのほとんどはカリブー地域で産出されたものだった。そして、翌年1862年には前年の産出量をわずかに上回る金が産出された。
何千もの男たちが、大儲けしたという希望を胸に、川沿いに列をなし、金鉱を探して、少しの隙間もないほど掘り尽くしていた。
ある鉱山労働者は、故郷の友人たちに向けて次のような手紙を送った。
「親愛なるジョーへ、
私も他の人たちも元気にやっている。私が今、1日に2〜3000ドルを稼いでいることを伝えたくてこの手紙を書きました!ここは景気が良くて、食事は高く、ウイスキーはまずい!だがお金はたんまりある!
ではまた。
Wm.カニンガム」
金鉱の採掘とそこでの儲け話は、このような手紙によって広まった。
そして、実際に多くの富を手にする人がいた。ただ、そのたいていは失われていった。時には信じられないほどの富を失った者もいた。ビリー・バーカー、マイケル・コスティン・ブラウン、ジョン・“カリブー”・キャメロンなどは一度は莫大な富を築いたが、最終的にはその多くを失った。
ビリー・バーカーは、他の鉱山労働者から、そんなところに金があるはずがないと馬鹿にされた場所から、80フィート(=約24m)も下に掘り続けて、わずかな亀裂を見つけて1000ドル相当の金を発見した。これは馬鹿にしてきた人たちを黙らせるには十分な量だった。
ジョン・“カリブー”・キャメロンは、幸運と不運が同時にやってきた人物として紹介したい。彼は2人の兄弟と共に、カリフォルニアのゴールドラッシュですでに成功を収めていた。その後、彼らはフレーザー川で起きたゴールドラッシュを聞きつけ、そこへと向かって再び大成功を収め、2万ドルを手にして戻ってきた。これは当時にしてはかなりの金額だ!
その後、キャメロンは美しい女性だったマーガレット・ソフィア・グローヴスと結婚し、さらに稼ぐためにカリブー地域へと行こうとしたタイミングで娘が誕生した。
しかし、妻と娘と共にカリブー地域へと向かっている道中で、娘は亡くなってしまった。
ブリキの棺
話は変わって、カリブーへと到着したキャメロンは2000ドル分のロウソクを買い、それを鉱山で1万ドルで売った。ロウソクを売るだけで8000ドルもの利益を手にした。これは金鉱を探し回ってようやく手に入る金よりも、確実に利益を得ることができた。そして、金鉱を掘ることよりも、金鉱を掘るために必要なツルハシやロウソクなどの道具を売ることの方がうまくいくことを思い知った。
その後、厳しい寒さの冬がやってきた。ソフィアとの間にもう1人の子供を授かったが、死産となってしまった。それとともに、ソフィアも亡くなった。最愛の妻と子供を失ったキャメロンはそれ以来、鉱山に取り憑かれたように、昼夜問わず鉱山で働き続けるようになった。それによって彼は大金を手にした。
キャメロンは裕福となったが、悲しみに打ちひしがれていた。彼は妻をカリブー地方から遠く離れた自宅に葬ってやりたいと思い、鉱山労働者を雇うことにした。24時間365日、3交代制で働かせ、できるだけ早く金塊を運び出した。そして、棺に収められたソフィアを自宅へと連れて帰った。
物語はそこで終わらない。キャメロンはそれから蒸気船から木材まであらゆるものに投資して、最終的に財産を全て失ったのだ。その後、彼は新しい恋人と結婚し、鉱山地帯へと稼ぎに戻ったが、全く成功することができなった。結局、彼は無一文で亡くなった。
中国人の進出
中国人の鉱山労働者たちは金鉱で多くの財産を手にした。
1850年代から中国人はカナダに眠る資源を求めて熱い視線を送っていた。1863年までには、カリブー地域には4000人ほどの中国人の鉱山労働者がいた。ただ、彼らは白人の鉱山労働者が放棄した地域でした働くことを許されていなかった。
しかし、中国人の鉱山労働者たちは白人たちよりも規律正しく、粘り強かった。彼らはパンニング・マシンと呼ばれる泥から金を分離するための機械を発明した。それによって、すでに廃坑となっていた場所でも金を見つけ出すことができるようになった。白人の労働者たちは金鉱を十分に探せていなかったのだ。
ゴールドラッシュによって栄えたバーカーヴィルのチャイナタウンには、薪ストーブが備え付けれられた小さな小屋が集まっていた。中国人は農業には慣れていたので、豚や鶏を飼い、裏庭では野菜を育てていた。中国人は鉱業だけでなく、医者、薬草師、商店、宿屋、料理人、レストランのオーナーとしても働いていた。
ブームタウンへようこそ
1863年末までに、金が取れる地域の合計3000もの土地を巡って、100以上の会社が争奪戦をした。1863年に採掘された金は約400万ドル弱の価値があった。
1864年と1865年も同じような金の産出量だった。カリブー・ゴールドラッシュで採掘された金のほとんどが、最初の5年間に採掘されたものだった。それでも、1900年まで多くの金鉱が掘り続けられた。カリブー地域の中で、最も豊かな採掘地であったウィリアムズ・クリークと、その付近の採掘地コンクリンとスタッツ・ガルチで、1861年から1898年の間に3000万ドル相当の金が産出されたと推定されている。
よいことにはすべて終わりがある
ゴールドラッシュはいつも最悪な結末を迎える。
1868年、ゴールドラッシュで栄えたバーカーヴィルの町は、バーカーヴィル火災と呼ばれる大火災に見舞われた。翌日には復興が始まったが、すでにゴールドラッシュは衰退し始めていた。
カリブー地方の勢いも同様に衰えていった。1867年、ロシアがアラスカをアメリカに売却したことで、カリブー・ゴールドラッシュに終止符が打たれた。
なぜなら、1896年、アラスカの入植者たちが浜辺で驚くほど大量の金を掘り出せることを発見したからだ。カリブー地方に残っていた鉱山労働者たちはその地を離れ、アラスカへと向かっていったのだった。
カナダでは他にもゴールドラッシュがあり、シルバーラッシュもあった。しかしその話はまた別の機会にするとしよう。
カリブー・ゴールドラッシュから得た4つの教訓
ここまでのゴールドラッシュの話から、学ぶべき重要な教訓がいくつかある。
教訓 その1
人間の欲望は富をもたらし得る。しかしそれを継続的に得ることは全く別の問題だ。一時的に富を手にした人間がその多くを失ったように、継続的に資産を築くには、慎重な管理と計画が必要である。
教訓 その2
規律は勝者と敗者を分ける。中国人労働者が白人が去った後にも金を見つけ出すことができたように、投資に対しても根気強く、根拠に基づいた効率的なアプローチをすることが重要である。
教訓 その3
資源ブームで稼ぐ方法はいくらでもある。必ずしも金や石油などの天然資源を採掘する企業に投資する必要はない。ジョン・キャメロンが鉱山労働者にロウソクを売って儲けたように、採掘企業へとサービスを提供する企業でも、同じようにうまくやれる。
教訓 その4
好況の後にはしばしば不況がやってくる。ゴールドラッシュで栄えたブリティッシュ・コロンビア州は、金が取れなくなると経済恐慌に陥った。
今日でもカナダとアメリカは、世界でもトップクラスの金産出国だ。今も最高の金鉱、最高の見込みがある金鉱がいくつか存在している。
このような金鉱を所有する鉱山会社は、条件がそろえば爆発的なリターンを生むことがある。なぜなら、新しい高品質な金鉱を1つ発見できただけで、利益を何倍も増やすことができるからだ。
そうした投資チャンスを見つけた際にはすぐにお知らせするつもりだ。
幸運を祈って
ショーン
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